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楽しく暮らそう。ゆきうさぎの創作雑記

【短編小説】集英社短編小説新人賞・もう一歩作品『ベトナムの、宵空に誓う』3

 だからそれは単に英語で話すのがいやで面倒だからなんだってばっ。


「とにかくなんか明らかに変だよ、あの人」

頭が、とアイナははっきり言った。

「……スタイルと服は完璧に素敵なのに、残念ー」

 

 え、とつまったきり、とっさに答えが出なかった。

華菜(はな)は日本の女子ズが老いも若きも同じ服、髪型で同じモノを食べ、べたべたっと価値観を共有しあっているのはよく知っている。

知ってはいるが、自分はそうじゃない。

そういう感覚が形成される時代、ちょうど日本に居なかったからだ。だからはたしてあれが特有の文化なのか病(やまい)なのか――正直よく、わからない。

 

 ――いいわよねー、語学ができる人は誘われて、私はそうじゃないから。

 

 嫌味とも愚痴ともつかない長電話を思い出し、釈然としないままアイナと別れた。家に帰って台所へむかう。


 咲恵(さきえ)はなんのかんの理由をつけ、努力を強いられるような事柄からすぐ逃げる。

そして他人に頼る。

縁あってこんな僻地(へきち)で知り合ったのだ、なんとかしてやりたい気持ちはあるが……ただあいだに立って仲を取り持つだけじゃ、本当に咲恵を助けたことにはならないと思うし。

 

そうか、依存症ね。それは正直、思いつかなかった。アイナたちからはそう見えるのか。うーん……。

 

 冷房のよく効いた台所は十畳ほどの広さで、日本だったら料理教室が開催できそうなカウンターにオーブン、冷蔵庫が二台、作り付けの収納棚がずらり、立ち並んでいる。

 

 いいや、考えるのはよそう。時間の無駄だ。

 

  華菜はこきこき首を鳴らし、ちょうど仕上がった製パン樹から生地種を取り出した。この調理場で一番気に入っているのはカウンターが大理石というところ。

理由はセレブっぽいとかではなく、ただパン生地の温度を一定に保つのにこの石が最適な材質だから。


 じつはこの田舎街には、まともなパン屋やケーキ屋が一軒もなかった。そんな場所が日本人の駐在地にあるなんて衝撃の事実だ。

 

 しかーし、と華菜は黙々と手を動かす。ないなら自分で作ればいいだけ。超前向き建設的思考な私、万歳。

良介(りようすけ)の駐在期間は三年だ。

三年間、真面目に料理修行すればけっこう手に技がつく、よっしゃラッキー! うぇーい。


 パンは東京にいたころ料理教室で師範科までやっていたから、材料さえあれば色々作れた。お菓子はスポンジケーキから始まって、パウンドケーキ、サブレ、スコーン、シフォンケーキ、フィナンシェ、チーズケーキ、チョコケーキ、プリン、シュークリームと一通り。

料理はベトナム食材をどう使えばいいのかわからなかったから、最初は難儀したものの、最近では日本にない青菜を日本の調味料で味付けする新技なんかを開拓した。


 まあ、こんなに料理に一日何時間もかけられるのも、はっきり言ってかなり暇だからなんだけどね、と肩を回す。

 

この洋館ではメイドが半日、掃除洗濯、食器洗いに買い物もやってくれる。きっと日本でも富裕層は毎日こんな暮らしをしていて、毎日あっちこっちへ遊興三昧なんだろうな――たしかマリー・アントワネットも言っていたじゃないか、わたくしが人生で一番恐ろしいのは暇を持てあますことでございます、とかなんとか。


 実際ホーチミンでは毎日カフェやらホテルへタクシーでくり出し、派手に放蕩している奥様方がたくさんいるらしい。メイドに掃除洗濯三度の料理のみならず、我が子の勉強や沐浴の世話までやらせながら、運動や買い物にうつつをぬかす強者(つわもの)まで。


 でもしょせんこの暮らしはロングバケーションだ。今、まわりを取り巻くものはいずれすべて流れ去る。そして本当に最後まで自分に残るのは、手垢(てあか)のついた技や記憶だけ――だから華菜は誘われた時以外、会食やイベントには参加しなかった。

 

物や時間を消費するだけの生活には、昔から興味が湧かず――確信がある。

私、絶対に王妃にはなれない。

乳母とか仕立屋とか侍女が関の山だと思う。

だって受け身で簡単に手に入るモノなんて、すぐに飽きるんだよね。

それよりも、あー面倒くさっ、とぼやきつつも、生産性のある活動をしていたほうが断然楽しい。……それに。

 

 背後に人の気配。窓の外からの視線もある。

 

 まただよ。確認しなくてもわかってる。

後ろでさりげなく今日はなにを作っているのか、のぞいているのは雑巾を洗うふりしたファンさんだし、この家はレースのカーテンがない。横をむけば、周回しているガードのおじさんと十中八九、目が合うだろう。

 

 というか、この家には恐ろしいことに二十四時間、プライバシーがなかった。どこで着替えたらいいのか迷うくらいに。

しょっちゅう修繕にくる若いお兄ちゃんたちは無遠慮に干された下着を見るし、飲料水を届ける業者の男連は、こっちの顔色を窺(うかが)いながら庭のロンガンの実をむしっていく。

 

私ゃ動物園の檻の中に入った珍しいニホンザルか、と華菜は唇だけで笑った。

さぞベトナム人たちは興味津々、今度の日本女はああだこうだとゴシップに花を咲かせていることだろう。

 

その4へ続く>>http://www.yukiusagi.site/entry/tanpen1-4

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