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楽しく暮らそう。ゆきうさぎの創作雑記

【短編小説】集英社短編小説新人賞・もう一歩作品『ベトナムの、宵空に誓う』5

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 少年は最初、なにやら言い返していたが、根負けしたか、くたびれたビーチサンダルを根元に脱ぎ捨てるや、そのまま器用に少し登った。

指で指図(さしず)して鉈(なた)を受け取ると、刀のようにベルトにさし、ずんずん先へ進んでいく。


 ひえー、命綱なくて三階くらいまで登るんだ、危ない。まあ二人とも笑ってるから平気か。

華菜(はな)は首に手をあてて上を見上げていたけれど、別のガードさんが自分の自転車を出してくるのを見て歩き出す。


さあ桜を迎えに行かなくちゃ。今日のお昼はあの子の大好きな象さんの形のブドウパンなんだから。
 
 殺人光線がふりそそぐ午後、桜と冷房をかけても暑い部屋で午睡をとって、暮れなずむ海辺へむかって散歩に出かけた。

 

五時半。

今日は昼すぎから計画停電で、というか市の気まぐれで始まっておおよそ日没まで続く無計画停電中だった。

 

 華菜の邸宅には自家発電がついているのだが、これがうるさい。

ヘリコプターのホバリング音をずっと聞いているような爆音状態に耐えきれず、ついに桜と外に逃げ出した。

この時期、冷房無しもきついけれど、この騒音を昼夜問わず耳元で聞くのもそうとうしんどい。

振動でまた、すっかり身体が酔ってしまった。

 

 華菜の家はちょうど角地で、外に出ると大通り方面はすでにオートバイラッシュだった。

信号が赤でもかまわず進入してくる二輪の群れ。

その一つ一つに家族四人五人乗っているのは当たり前。

自転車に三人乗りしているのはたいがい白シャツを着た十代の学生で、犬の糞が落ちた歩道を行くのは老婆と幼稚園前の子供達。

 

歩道の脇でははなし飼いにされた鶏とひよこが十羽くらい走っているし、側溝ではドブネズミが二匹、ドブ板の割れ目から顔をのぞかせている。

 

 激暑い昼間はしいんとして人っ子一人通らないのに、まったく、どこからこれだけの人が(人以外も)湧いて出るんだろう――。


 なかばあきれつつ海辺ぞいの遊歩道に出れば、周囲はよりにぎやかで、縁日さながらの様相を呈(てい)していた。

 

とぎれず続くバイクの警笛音にもうもうけぶる排気ガス、自転車がちりんちりん対抗する音、その横でひどくなにかを怒って怒鳴り散らすアオババ服の母親。

 

脇を笑い騒ぎながら走って行く子供の群れ、ドリアンと魚肉と駄菓子が混じったような独特の臭気を発しながらカートを引いて通りすぎる、麦わら帽子(ノンラー)を被った物売り。


 太長い棒のついた奇妙な物体を引いているのは有料で身体測定をする生業(なりわい)の男だし、たらい型ボートを海辺につけ、そのままスーパーのレジ袋を抱えて、歩道に獲れたてのシャコの山をまき散らして商売を始める女もいる。

 

風呂代わりに海で遠泳する父子もいれば、皆が食い散らかして捨てた残飯に群がるネズミの集団もいて。


 ああ、にぎやかな南シナ海の夕暮れよ。当地のベトナム人たちは暑い午後をやり過ごし、夜七時くらいまでこうして海辺にくりだすのが常なのだ。

 

華菜はふうっと肩の力がぬけるのを感じながら、広場で見ず知らずの子と追いかけっこを始める桜を眺めた。


  ほら、あの子達を見なよ。

やっぱりあっちが正解なんじゃないか。

 

言葉なんてまったく通じなくたって、おたがいにその気さえあれば楽しい時間は共有できるじゃない。


 胸の奥にぽっと火がともる。

そうだ、まずはぶつかれ。

精一杯やってダメだって、何度でもリベンジすればいい。

世の中、あきらめずに馬鹿真面目にやってりゃ、かならず救ってくれる神はいる。

 

どこに住んでどれだけ生き、なにをしていようと、大事なことはいつだって、なにも変わりはしないんだ。

 

  その時、通りすがった若者カップルが軽く会釈したので、華菜は思わずまばたきした。

 

誰だっけ?

どこかで会った……ああ、昼間の椰子(やし)の木登りの少年じゃない。

隣の笑顔がかわいい女子は彼女かも。

 

数十円の駄菓子と飲み物しか持たず、これから月がのぼり星が満ちるまでただ、堤防ぞいに座っておしゃべりするだけのデートでもするんだろう。

 

だけど若いってすごい。

それだけでこの二人、どんな贅沢三昧の奥様方にもましてキラキラ輝いて見える。


そう、この国はとかく若いのだった。

ベトナム戦争で先の世代は大量に逝(ゆ)き、今は平均年齢が二十九、三十ほど。

 

きっと戦後の日本も昔はこんな感じだったんだろうな、タイムトラベルのような既視(きし)感。

不便で不衛生で貧しくても未来の時間はまだたっぷりあった。

 

だからこうして日が沈んでなお、熱を失わない。

荒けずりで粗野(そや)で美しい希望に満ちている。

 

  華菜は突然、以前に母親学級で聞いた話を思い出す。

『大人はなぜ、どうして、と推理小説を読むみたいに絵本を繰(く)るけれど、子供や若者はただ、この先どうなるの? と純粋に絵本の主人公になりきるものですよ』。

 

 ――この先の人生、なにがどうなるの。

 

ここの人々の向こう見ずな熱気は、まさにその気概(きがい)そのものだ。

わからないからこそ試したい。

見たい、知りたい。

 

それは失敗しないよう理屈づめで一歩づつ安定した道を行くより、よほど幸せな生き方なんじゃないか。


目を上げると、すぐ前の道路を赤い乗用車が一台逆走していた。

えええ嘘。

でも押しよせるバイクの波はただ、ゆるゆるその車を避(さ)け、何事も無かったかのように流れていく。

 

すれちがいざま警笛は鳴らすけれど、それは単にここにバイク有、ぶつけないでよねオーライ、の意だ――急に目が覚めたような気がして、なにかがすとんと腹の中に落ちた。

 

本来、人ってこれくらいのゆるさの中にいたほうが、人らしく生きられるのかもしれない。


明日もまたきっと否応なく現実は押しよせてくるけれど。

やっぱりこの国に住んでみてよかった――。

 

「ああ、いたいた、華菜さんっ」

 

その6に続く・次回は最終回です!>>http://www.yukiusagi.site/entry/tanpen1-6

 

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