バドゥルは黒曜石(こくようせき)のごとく光る瞳で品定めするようにこちらを見ている。
「私の妹は妾だが、まだいいほうだ。だがあれの夫は国の内外から命を狙われている。もし死んだら、妹は確実に子供と露頭に迷う」
ためらいがちにバドゥルの唇に唇を重ねた。
「私をあんたにやる。なんでもする。だから妹(イリーナ)と子をつれて逃げてくれ。むろんタダとは言わない。それなりの金も支払うつもりだ」
「おまえ……」バドゥルはようやく口を開いた。
「俺が今の幹部のやり口に疑問を持っていると、いつ気づいた」
「夏には連合国が介入してくるって報告してた時さ。負けを認められないようじゃ……な」
事情もちの女子供と一緒のほうが、難民申請も通りやすいらしいよ、とつぶやいた。
「二人をどこかの国の人権団体にあずけたら、あとは好きにしていい。組織をぬける好機(チャンス)だぞ? あんたにとっても悪い話じゃあるまい」
バドゥルはうなった。
「しかしそれじゃ……おまえはどうするんだ」
思わず乾いた笑みがこぼれた。
「どうもしない。ここに残って仕事を続ける」
かつて百人撃てば好きに国を出てもいい、そう隊長(アフマド)はたしかに約束した。
その言葉が寝屋で紡がれるつごうのよい睦言(むつごと)にすぎないとわかっていても、ただただ、逃げ出したかった。
この腐りよどんだ汚泥の底から、どこでもいい、どこか清浄な地へ逃れたかったのだ。
だが、ちがった。
一度でも己(おのれ)の手で他者の命を握りつぶした者は、その罪から目をそむけることはできない。
いや……してはならなかった。
それが最低限、命を奪った者が死者になせるつぐないだから。
(だから……私が人殺しでなくなる日など、永遠にやってこない)
夜な夜な夢に見る、手にかけた者たちの断末魔をーー細部までリアルな血まみれの顔を。
生きたかったと叫ぶ、怨嗟(えんさ)の声を。
ただ受け止め、生き続けなければならない。
たとえそれがどんな苦痛をともなおうとも。
「なあ……そんな顔をするなよ、アイシェ。今は無理でも、俺がそのうちかならず、おまえにかけられた鎖を断ち切ってやるから……」
耳朶を甘く噛まれながらささやかれ、耐えきれずに荒く息を吐いた。
身体の芯が熱くうずく。
今こうしてゆるい月光の中でバドゥルと肌を合わせていると、恐怖は感じない。むしろ湧き上がってくる感情に戸惑いさえ覚える。
――そういえばこの男だけは、一度も不躾(ぶしつけ)なまなざしではかるように私を見なかった。
(そうか。私はぞんがい、こいつに本気で惚れていたのかもしれないな……)
――あれから二年。
多くの犠牲を払い、街を破壊し、この国は一応の安寧を取り戻した。
国の大半を支配していた武装組織は大国の兵力に押され、一時は解体寸前にまで追いこまれたが、北部の山岳地域でふたたび勢力を取り戻しつつある。
多国籍軍に隠家(アジト)を襲撃されて生き残った者たちは今、各地に分散して潜伏していた。
乾期の始まりを告げる、喉を焼く風が吹く。
市場に品物が戻り、白いトウブ姿の男たちが路上でゆったり水タバコを飲む前を、黒いアバヤ姿の女たちが連れ立って歩いていく。
子供たちは小遣い稼ぎに側溝に落ちたごみをひろっている。
軽食を売る物売りの呼び声に交じって、バイクの警音器がうるさく鳴った。
まだ街の建物の壁、いたるところに銃撃戦の跡はあるが、大通りには活気が戻った。
私は今、おもてむきこの街で暮らす女たちの用心棒のようなことをして生計を立てている。
「……アイシェ」
路地裏に入ったところで、ふいに後ろから声をかけられ、身じろいだ。
アバヤの中で肌があわ立つ。妹(イリーナ)が消えた直後に隊長(アフマド)から容赦なく殴られ、死にかけた際の、腹の傷がうずいた。
「遅くなったが、約束通りむかえに来たぞ」
この低い声。信じられなかった。
バドゥルならこの街に戻ることが、どれほどの危険を意味しているのか、わからないはずがない。
それでも、来た。来てくれたのだ。
「おまえの妹と甥は無事でいる。一緒に来い」
目を見開いた。
知らず、目頭が熱くなった。
あざむかれてばかりの人生だったけれど、バドゥルに賭けたのだけはまちがいじゃなかった。
朧月(おぼろづき)――。
あの幻のような一夜の月のように、この男はいつだって私の暗闇を照らす。
ふりかえって、ついて行ってしまいたい。
しかしもし私がそれをすれば、組織は今度こそ躊躇(ちゅうちょ)なくバドゥルを消しにかかるだろう。
(この人の幸せを、本当に願うなら――)
「……人ちがいでは。私はあなたなど知らない」
凍りついたように足音が止まった。
無言のまなざしが背につき刺さる。
私は息を押し殺し、ふらりと歩き出した。
了
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あとがき
みなさま、こんにちはー。ゆきうさぎです。
お題指定小説、いかがだったでしょうか??
……ちとハードな展開でしたかね~、、こういう系統お嫌いな方いらしたら、すみませんでした 汗汗汗
ただゆきうさぎ、桑原水菜さんというとハードボイルドな展開の作者さんっていうイメージ強すぎ??て、お題を見た瞬間に、なんかこういう系統のお話ししか思いつかなかったんですよ。
「銃」「暗殺」「百人斬り(いや、斬らないけれども。ゾロか)」みたいな感じだったしね。
でも、集英社の編集部さんで選出されたのは見事なエンターテイメントばかりで!!
しかも意外性があって、おもしろくて~~。
なるほどなぁ、こうきたか!!
みんな、すげえな!!!
といたく感心いたしました。(下記URL参照↓)
新しい才能を開拓する、投稿新企画第1弾! 桑原水菜プロデュース!! 選考結果発表|Webコバルト - 集英社コバルト文庫・雑誌Cobalt公式サイト
今回、これを記事にしてみたのは、
「始めが一緒でも、その後の展開って千差万別っ、自分と他人ってホント考えることちがってて、おもしろ~~い!!」
「こんなワクワク企画やってるところもあるんですよっ」
と、ちょっと言いたくて。
で、お話し考えて書くって、なんかドキドキじゃね??
ってのも、ちょっとお伝えしたかった。というか。
こういうのって、口でどうこういうよりまず、実例出してお伝えするのが一番手っ取り早いかなと。
よく「私は作文が大好きで!」っていうと「作文きらい」「おもしろくない」「なに書いていいかわかんない」って言われるんですけどもー。
作文は、自由だ~~!!!←大空翼でお願いします 笑
とにもかくにも、これがサイコーにいいところ。
ゆきうさぎが日頃「書くって、本当におもしろい!!」って思ってるところが、みなさまにもちょこっと伝わればいいな。と、思います♪
【おまけ*小説技法な小話・作文】
以前、娘がベネッセさんの「小学生・作文講座」を1年だけ受講しておりました。
娘はそれまで(ゆきうさぎの子なのに!)全然、作文が好きじゃなかったんですよね。←ありがち。
あ、今じゃ、ゆきうさぎ顔負けに作文好きになりましたけれどね。
ちなみに、ベネッセさんにはもうしわけありませんが、作文教材の力ではなく、親のゆきうさぎがいつも馬鹿みたいに、ウキウキとハイテンションで作文している背中を見続けるうちに、なんか真似してそうなったみたいです。
で当時、親むけリーフレットに書かれていた情報に、「作文の難しさにはレベルがある」というくだりがありまして。
簡単な方から
感想文(感じたことを綴る文)→調査文(調べて書く文)→論説文(持論を展開する文)→創作文
という段階だと。
ほほう、最高難度は創作ですか!!←なんとなく嬉しい 笑
でも創作指導できる人ってかぎられてると思うけど(小説技法をマスターしてる人って少ない気がする)、添削できるの?←よけいなお世話。
まあね。でも言われてみればそうかもー。
感想文は感想だけ書けば良い。
論説は論説だけ。
情報をまとめる系はそれだけに特化していれば書ける。
でも創作は全部できないと書けない。
だから小説家はアナリストにもライターにもなれるでしょうが、反対の転職はきびしいんじゃないかな。
でね、教材リーフレットいわく、
「教育指導要領が変わって、これからの時代は作文力が大事!
そして子供の作文力を向上させたいなら、創作をやらせろ!」
なんですって~~。
まあね、短編「ただ、君に逢いたい」の最終話でも書きましたけれど、小学生の作文の「視点のとっちらかり」なんかは、ほんとは小学校で矯正してくれたら大変ありがたいと思うんですよ。
現状、放置状態でまったく修正されていないんですけれども、あれはたぶん、文科省の教育指導要領の作文指導に、そういう文章チェックをせよって書かれていないせいなんじゃないのか。と、ゆきうさぎは推測しています。
日本語って、ドイツ語や英語とちがって、文に主語がしっかり入らなくても、会話が成立するじゃないですか。
息子が「これとって」「あれして」言う時に、いちいち「僕に、ママが」とか、つけてないのですが、最近「ヘイ、パス、ユー、ミー、ケチャップ!」とか言い出したので、
「主語の置き方がおかしい!!」
って話になったんですけどね。
英語なら「ヘイ、キャン、ユー、パス、ミー、(ア)ケチャップ」でしょ。
でも息子の頭のなかでは「そのケチャップ取って」っていう日本語をただそのまんま英語に変換してるんですわ。
余談ですが、ドイツ語はアとかザを非常に重要視するので、ゆきうさぎ的には英語の時「アもザも入れないの?!?!(英語って変!)」ってすぐ思うんですけどね……苦笑
まあとにかく、欧米人は毎日話すワンセンテンスごとに「自分が」「自分は」って入れるのに対し、日本の子供は無頓着。
書く言葉の基本は、普段、自分が話している言葉ですよね。
だから作文時にも、視点がすぐとっちらかるんじゃないかと。
感想文で文章がねじれてたり、視点が流動してると、大学受験などで必要な論文を書くときにも、正しい作文ができないままになってしまう。
大学で論説文あまり書かずに卒業すると、会社で書類作成するにも難儀する。
てな将来を思うに、やはり初動は大事なのではっ。
作文キライ~、っていわれると、べつにゆきうさぎ、作文星から来た作文星人じゃないんですけど、妙に悲しくなるというか。
いやいや、本当の楽しさを、君はまだ知らないだけなんだよ!!
スポーツとかも、ある程度できるようになったほうが断然、面白くなるじゃないですか。
よく「読み書きそろばん」っていうし、やっぱり書くのって、今後も人が人生を生き抜く上で重要なファクターというか、、、。
みんなでのびのび色々と自由に書いて楽しめたらいいなぁ!!と、切に願う次第でありますっ。
それではまた。
ごきげんよう☆