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楽しく暮らそう。ゆきうさぎの創作雑記

【詩エッセイ♪】 夢のたびびと48『スイカ日和』・読める気づかい

こんにちは、ゆきうさぎです。
はじめましてのみなさま、ご訪問ありがとうございます☆
前からご覧になられているみなさま。引き続き、「夢たび」お楽しみ下さい♪
子供の頃から夢を見ずにはいられないまま、大人になりました。そんなゆきうさぎが10年近く前に書いていた詩「夢のたびびと」に、このたび新たに「夢たび景色」を書き加えたものが、このブログです。
今日もしばしお付き合い下さいね^^ 

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イラスト提供:ふわふわ。り

夢たび48『スイカ日和』

 父さんの田舎の 夏休み
肌がじりじり 焼ける昼
首に手ぬぐい 麦わら帽子
リヤカー引いて うんとこさ
かんすけどんが やってきた

 

おばあちゃんが 麦茶を出すと
旬さ過ぎたで 食ってくんなせ
かんすけどんは リヤカーのスイカを 
どどん 縁側にころがし始めた

 

ひとつ ふたつ みっつ・・・
よっつ いつつ むっつ・・・

 

ななつ やっつ ここのつ・・・

 

あっという間に 縁側は 
ごろごろスイカで 大渋滞

 

弟と僕は 目を丸くした
スイカは 全部で十五もあった

 

大きなスイカを 二つに割って
半分のスイカを 三等分して
それをそれぞれ 乱切りにする

 

こうするとカドが出ないし 食べやすいだ
ほれ やれ 食いなせ

 

川の水で 冷やしたスイカを
それから毎日 僕らは食べてる

 

海のむこうに 入道雲
青い稲の香り 風切るつばめ
里山からは セミの合唱 
道ばたには ねこじゃらし

 

今日もそんな日 スイカ日和(びより)
 

【夢たび景色】「読める気づかい」

『スイカ日和』
「友達ができた~~♪スイカの名産地~~~♪」
スイカの名産地といえば??そう、新潟県です!!この歌のモデルとなったのも新潟のスイカ畑なんですよね。
ゆきうさぎの父は新潟出身なので、小さい頃、夏休みになるとおばあちゃんちによく行っていました。まだ昭和の時代。本当に今とはだいぶ勝手がちがっておりました。
この『スイカ日和』に出てくるかんすけどんは、本当にモデルとなったお婆さんがいらっしゃいまして。
いつもゆきうさぎの、おばあちゃん家に裏から入ってきて、よく縁側に腰掛け、1時間も2時間もおばあちゃんとしゃべっていました。イメージ的にはジブリの「トトロ」のお婆さん的な感じでしょうか。ほっかむりに着物姿で。
昔の新潟弁だったので、東京生まれ東京育ちのゆきうさぎには、ほぼ異国語で、なにを話していたんだか、全然聞き取れませんでしたけど 苦笑
 
このお婆さん、背は小さいのに農家の嫁らしく力持ちで、本当にリヤカーにたくさんスイカを積んで歩いてきたんですけど、縁側で麦茶を一杯ごちそうになったあと、
「はー、生き返る~、うまかった!(クーラーはまだない時代です)じゃ、お孫さんもきてることだし、スイカ食いなせ」
って、リヤカーから巨大スイカを取ってきて、長い縁側の端から端へ、ごろーん。
おお、でかっ!一個まるまるくれるとはまた、太っ腹な!
と、思う間もなく
「スイカ、美味いからの~~、いっぱい食いなせ」
ごろーん。ごろーん。え?
「まだ、おけそうじゃの~~、スイカ食いなせー」
ごろーん、ごろーん、ごろーん。
えええええええええ!!
ちょ、ちょっと、このお婆さん、いくつ置いていくつもりなんだ?!?!
結局、あっという間に足の踏み場もないほど縁側は巨大スイカだらけになり、軽くなったリヤカーを起こすと、お婆さんはにかっと笑って
「冷やして食いなせ~~、うまいよ~~♪」
のしっ、のしっ、と去ってゆかれましたとさ。
ゆきうさぎ、目が点でした。
あ、歩けないんですけどっ!!!なんじゃこりゃー!!!
 
あとで一個、スイカを持ってみましたが、その重たいのなんの。
これを山積みにして、リヤカーでひいていたかんすけどんって、すげー。
でもね、うちのおばあちゃんが言うには、この人の好いかんすけどんは、どうも字があまり読めなかったみたいです。
「おしん」世代だったんでしょうか。ゆきうさぎがちいちゃいころはまだ、東京の大きな駅に靴磨きの人もけっこういたし、傷痍軍人さん?みたいな人も立っていたし、かんすけどんみたいなおばあちゃんも、けっこう身近にいたんですよね。
駅の改札は切符切りの駅員さんがかちゃかちゃ音をたてて切符を切ってたり、夏は扇風機、冬は石油ストーブ、げた履いてる人も着物着てる人も多く、上越新幹線も開通したてくらいの、アナログ時代でした。
息子がウルトラマン好きなので、昔制作のを見てると、ああーなんかこういう時代よね(初代はちょっと前すぎだけど)、みたいな感じっていうか。
 
この間、NHKニュースで「日本の識字率は世界と比べたら高いほうだが、最近は落ちてきている」ってやっていて、ちょっと驚きました。
今、この時代に読めない人がいるんだ?
で、見ていたら私と同じ年くらいのおじさんが、小学二年生の教科書でスイミーを読んでいて。息子が、
「あー!僕の、僕の教科書と同じやつ!!スイミーも同じ!!うわーい!!おじちゃんもスイミー好きなんだ!!僕と同じだ!!」
とか言ってましたけども。(いや、ちょっとちがうんだが……)
ニュースによると今読めないのは、家庭の事情で学校に行けなかった人のほかにも、ひきこもっていた人や、あとは外国からの移住者なんかが主みたいでした。
ああ、なるほど、移住してきた人たちはたしかに、読めないよなぁ。と。
 
ゆきうさぎもドイツに行ったころは、ドイツ語も英語も読めなくて。
最初の2ヶ月目、小学4年生で、高速道路で交通事故に遭いまして、家族と引き離されて、ひとりどこかの街の病院へ救急車で搬送されたことがありましたけど、これは人生最大レベルの恐怖でした!
とにかく、まだ、自分の名前しか言えなくて~~涙。
ここはどこ?!家族はどこにいっちゃったのよ?!?!私はこれからどうなるのー!!!外人怖いよー!!!(←つーか、ゆきうさぎが外人なんですけどね)うわーん!!!!
あんまりにも言葉がわからないので、結局、あきれ果てた看護婦さんに控え室みたいなところにつれていかれ、そこで泣いていたら、目の前にいたドイツ人のおばあちゃんがティッシュくれて、涙をふきふき泣いているうち、疲れて寝てしまい。
気づいたら親が迎えにきてくれていた。のですが。
あの時の恐怖は、今でも忘れられないです。
その後も、英語がわからない、ドイツ語わからないのでは、だいぶ苦労しました。
 
で、話はちょっと飛びますが、
ゆきうさぎ、小学校で絵本の読み聞かせボランティアをもう6年やってるんですね。
今年は娘と息子あわせて年に10回行く予定でして。長期休みあるから、ほぼ学校が稼働してる期間、毎月1回です。
ちょうど2週間前に6年生のところで「マッチ箱日記」(文/ポール・フライシュマン、絵/バグラム・イバトゥーリン、訳/島 式子、島 玲子、BL出版)を読んできました。
この絵本は、アメリカでイタリア移民が苦労して成功するお話なのですが、主人公は字が読めなかったので、マッチ箱に思い出を一つづつためていて、それをおじいちゃんになった時に、孫に話し聞かせるっていう、ストーリーなんですけども。
やっぱり英語ができなくて読めなくて、からかわれて、みたいなシーンもあって、言葉の壁って大きいよなぁ、と自分の経験をふりかえってしんみりしたりしちゃいました。
 
日本に元々いて、日本語を読めない方たちは、言葉自体は話せると思うんですけど、移民の人たちが特殊言語すぎる日本語を習得するのは、本当に大変じゃないかなって思います。
大学時代に、ドイツ人の教授が、「日本語は全部ローマ字表記にしてほしい。漢字もひらがなもカタカナもいらない。読みづらすぎる」って言ってたことがあって。
ゆきうさぎも日本人なので、「さあ、明日から漢字・ひらがな・カタカナ全部捨てて、これからはローマ字だけにしましょ」って言われて、はーい、わかりました、とは到底言えないですけども。
だってそれって、文化とか-、歴史とか-、なんかいろいろ全部捨てることになりません??
でも、他国から来た人たちには、もう少しローマ字表記を増やしてあげてもいいのかもしれないなぁ、とも思いました。
 
ゆきうさぎ、妊婦のころ、今まで気づきもしなかった道のちょっとした段差につまづいたり(お腹がデカイと下が見えないんですよっ!うきー!!)、なんか一気に「生活弱者」体験をした、というか。
忘れもしないJR川崎駅の東海道線ホーム、今はエレベーターありますけど、ゆきうさぎが赤ちゃんづれのころ、あの駅ホームにはエレベーターがなくて!!
ベビーカーをかつぎ、荷物をかつぎ、赤ちゃんを抱きながら、階段を上り下りするって、めっちゃ重労働。しかも危ないでしょ。周りに人がたくさんいるし。
ベビーカーや荷物は、落としてもぶつかっても平気だけど、子供をもし落として、頭がかち割れでもしたら……取り返しがつきません。
だから川崎駅だけは絶対絶対、用事があっても、降りたくない駅でした 苦笑
今はまた普通に早足で歩いたり、駅も階段、駆け下りたりしてますけど。
世の中、公共の場っていうのは、弱者よりに作ってあげたほうが、絶対使いやすいと思うんですよねっ。
 
これを読んでいらっしゃるみなさんは、当然、日本語ぺらぺーらで、字もちゃっちゃか読めちゃってると思いますけども、もしかしたら、電車で隣に座った人はそうじゃないかもしれない。
忙しいと忘れがちですが、そういう気づかいは、忘れないようにしたいなあ。
だって、かんすけどんは、読めなかったかもしれないけれど、すごく心の優しいおばあちゃんでしたしね。
 
それではまた。
ごきげんよう。
 
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