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楽しく暮らそう。ゆきうさぎの創作雑記

【詩エッセイ♪】 夢のたびびと49『雷神戦歌』・息子が死にかけた時の話

こんにちは、ゆきうさぎです。
はじめましてのみなさま、ご訪問ありがとうございます☆
前からご覧になられているみなさま。引き続き、「夢たび」お楽しみ下さい♪
子供の頃から夢を見ずにはいられないまま、大人になりました。そんなゆきうさぎが10年近く前に書いていた詩「夢のたびびと」に、このたび新たに「夢たび景色」を書き加えたものが、このブログです。 
今日もしばしお付き合い下さいね^^ 

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イラスト提供:ふわふわ。り

 夢たび49『雷神戦歌』

 

暑い夏の午後
六匹のドラゴンが 永の眠りから覚めた

天に 悪意が満る
青空に 突如わきあがる雲は
瞬く間に どす黒くそまった 
 
竜の目が 赤く光ると
封印の魔法が はじけとぶ
自由を得た 体がしなるたび
下界に 大雨が降り注いだ

 

水竜たちは 笑う 
見ろ! わけもわからず逃げまどう 
人間たちの なんとも小さなことよ

 

けれど悪竜が 目覚めれば
古の神もまた 復活するのだ

 

稲妻の槌持て 来たれ勇者よ
黒山羊の戦車に乗りて 敵を打ち負かせ!

 

夜来豪雨 いまが戦の始まり
角笛鳴らせ ヴァルハラの戦士たちよ
我が名はトール 雷と戦の神ぞ!

 

大雨 雷 稲妻 槌が輝く
ズズズ ドドォォーン・・・
地響き 轟音 竜の断末魔
ゴゴゴ ガォオォーン・・・

 

嵐の終わりは 戦の勝利
ようやく槌を置き 雷神はふとつぶやいた

 

解せぬのう 一万年と数日 眠っておったが
その間に いったいなにが起きたのか

 

空の秩序を乱し
竜どもを 目覚めさせたのは 誰だ?
 

【夢たび景色】息子が死にかけた時の話

『雷神戦歌』
10年、20年前と比べると、最近は豪雨が多くなった気がします。
ゆきうさぎの実感からすると、この豪雨は昔住んでいたベトナムのスコールによく似ています。
ベトナムではスコールは雨期なんかは日常茶飯でして、日本の豪雨よりもっとひどいくらいの大雨が突然、振ってくるかんじです。
だからベトナム人は傘を持たない。
傘なんてさして歩けないんですよ。雨の時って。水の勢いが強くて滝みたいだから。
だいたいみんなレインポンチョを着て、濡れても暑い国だから凍えたりすることもなく、プールに入ったんですかくらいに濡れたまま、うろうろしたりしています。
ゆきうさぎのベトナム家はスコールがあまり激しかった時は、エアコンの室外機から水が逆流して、エアコンからごばああああ!って水を吐かれたことが数回ありました。
むろん、部屋中水浸し。ハイ、また半日大掃除コース、決定~~! 苦笑
で、これまた昔に住んでいたドイツは、雨っていうと、霧雨みたいのが多かったですかね。
日本みたいに雨粒が大きくないので、こちらもあまり傘はささず、帽子を被ってやりすごす感じ。
だからゆきうさぎ、ひそかに、日本の傘ってすごく使い勝手がよくてセンスもよくて優秀な製品だと思っているんですよね。
ドイツの傘は重い。ベトナムには傘がない。
日本傘こそMade in Japanとしてどうどう輸出できるんじゃないかな。傘屋さん、応援してまーす。
 
という話はさておき。
以前、夜間豪雨の時、あまりに雷がひどくて、子供達が怯えて寝られないくらいのことがありました。
どがーん、ずがががーん!!
「ぎゃー、うるせー!!!」(←これは、ゆきうさぎ)
あんまりうるさいので、今、頭上でなにが起きているんだろっ、と想像してたら『雷神戦歌』がピコりまして、こんな詩、できたという。
イメージ的には「ロードス島戦記」のエンシェントドラゴン対雷神トール、でしょうかね。あ、トールというのは北欧神話に出てくる、いわゆる最強マッチョ的戦神です^^
子供たちから「ママ~~、ママはどうして雷が怖くないの~~」とも、言われましたが。息子なんて恐がりだから、即泣いてましたね 苦笑
いやー、たしかにあの雷が我が家に落ちたら、とんでもないけど。
でも、まだ落ちてないよ。
つーか本当に怖いって、全然、そんなもんじゃないし。
というわけで、今日はちょっと修羅場だった、息子が死にかけた話をいたします。
 
思えば息子の妊娠・出産・その後は、今から思えばわりと大変だった。
まず妊娠しなかった歴が4年。妊娠した時はマル高(高齢出産は区分けされるんですよ~~知らなかったけど)だったので、なんかかんか、検査が多くて。
ダウン症リスクの検査をしたら、数値が高かったので、両親から連日日本に帰国しろ電話が鳴り止まなくなりました。
つわりで娘の育児もあるのに、一日数時間は海外電話につきあうはめになり……。
結局、この時は帰国しませんでしたけどね。ゆきうさぎ、「このお腹の子供は大丈夫!」って根拠の無い自信があったので。
ただベトナムで出産すると、フランス人の医者にあたることがあり、分娩台でフランス語の可能性あると聞いていたので、フランス語はわからんからなー、と日本で出産するつもりで準備してたら、3月11日、東日本大震災が発生。
ベトナム人たち「あんな危ない国に行くな!!!帰っちゃだめだ!!!ベトナムで産め!!!」
外人の友達たち「日本は危険すぎる!!!今、近寄ったら死んでしまう!!!ここにいるべき!!!」
ありがとう、心配してくれて。本当に嬉しかったよ。つーか日本、ひどい言われよう 苦笑
でもやっぱりホーチミンで産むくらいなら日本で出産したいよ。
てなわけで、飛行機に乗れるぎりぎり4月まで待って(あまり出産間近だと、もう飛行機に乗せてもらえなくなるんですよね)、ようやく祖国に帰り着き。5月、無事出産しました。
その後、またベトナムに戻り、息子はすくすくと……成長しすぎて、6ヶ月には10キロをこし(ありえねえー)、見た目はゴーストバスターズのマシュマロマン?コニシキ???
とにかく母乳を飲みすぎて、腕に関節が4つはあるようなボンレスハムになってるし。おすわりのころは頭が重くて、突っ伏したら起き上がれず、その潰れたままの体勢で泣いてるし……。
友達も周囲の人も「かわいい」じゃなく息子をみると「すごい……」しか言いませんでした。いやー、人間ってこんなに限界を超えて太れるんだ、知らなかった!!
 
と、いうわけで。
たいした病気もせず、デブデブおデブな息子ちゃんは、毎日元気にハイハイしては、周り中、手当たり次第にモノをひっぱりだし、なめ回す、やっかいな10ヶ月目に突入していたのですが。
そんなある日、息子がいない。
おや、どこへ行った!!と慌てて探すと、得意満面に下駄箱の靴を散らかしまくっておりました。うぎゃー、やめろー、やめてくれー!!(いつものことだが)
 
で、それからまもなく、息子が噴水のように吐きまして。
ここから悪夢のように、とにかく何度も吐く、吐く、また吐く。たぶん靴でもなめたんじゃないか。しかし、こんなに身体に水を溜めてたんだ?!くらいには吐きまして。機嫌もすごく悪くなり、むずかっていたのが、しん、とおさまったのが、だいたい夜の10時すぎだったでしょうか。
夫「あー、よかったよかった、寝たじゃん」
 
しかしこの時、ゆきうさぎの心には不安がよぎっていました。
と、いうのも、ゆきうさぎが住んでいたブンタウって街の外人用の診療所には、フィリピン人のお医者さんが一人いたのですが、ここに行くと、
「抗生物質も、風邪薬も、今切らしてるからー。ビタミン剤でいいかな?」
とか(たいがいビタミン剤しかくれない)
「高熱に熱冷ましを処方する医者がいるが、あんなのはきかない!とにかく乾布摩擦がきくんだ!!」
と、かつて38度の娘を1時間くらい乾布摩擦したあげく、40度超にした過去があったから。
たまに「抗生物質入荷したけど、これ、大人用だから。子供には七分の三づつあたえてね」とかいうこともあったし。ええと粉を七分の三計るのって大変なんですが!!!
日本に住んでますと、小児科がありますでしょ?
子供専門の先生がいて、風邪薬やら抗生物質があって、ちゃんと科学的見地に基づいて診察してくれますでしょ。涙
そういうの、ない処もあるんですよっ。日本じゃ信じられない話ですが。
 
で、夜中2時。息子を見に行くと、あいかわらずシーンとして寝ている。ように見える。……。青白い顔だな。
この瞬間、なぜかゆきうさぎ、肌がびりびりするような恐怖を突然、覚えました。
(あっ、この子、もしかしたらこのまま死んじゃうかもしれない。)
それを、そのまま夫に伝えたら、寝ていた夫は目をこすりこすり、
「えー、じゃー、どうすんの?朝になったらホーチミン行く~~?」←緊張感ゼロ発言……汗
いやだからっ。そういう状況じゃねえ、もうすでに!!!(たぶん!!)
朝まで待ったら間に合わないっつってんだよ!!
 
たぶんゆきうさぎが鬼女みたいだったからだと思いますが、その後30分でボストンバッグに最低限必要なものをつめこみ、長女をたたき起こして着替えさせて、会社の車で夜中にホーチミンまで悪路を3時間ぶっとばしました。
あ、ブンタウからホーチミンまでって、だいたい東京―熱海くらいの距離なんですけど、道に大穴あいてたり、ベトナムは日本とちがってすごくインフラが悪いので、車で3時間かかったんですよね、補足しますと。
で。
動かぬ息子を抱きかかえたまま、朝になるころようやくホーチミンの24時間診療にかけこむと、連絡をうけて日本人の女医さんがスタンバイしてくれていまして、息子を見るや、
「脱水症状がけっこう進んでる。すぐ点滴!」
ってことになり。はい、やっぱりヤバイ状況でした。(夫よ、見る目ゼロ……)
日本にいればねー。脱水でまず危篤になんかならないけど。
こんなことで、死の境をさまよっちゃうんだ、がーん、と思いましたよ。
 
で、この話にはさらに続きがありまして。
まずベトナム人の看護婦さんたちが「わー、こんな赤ちゃんに点滴したことない~~」「針させない~~」「あなた、やりなさいよ!」「やだぁ、あなたがやれば」とか、言い出す。オイ!
いやいや、そういうこと言ってないで、もういいから、ぶすぶす刺して!どんどん失敗しちゃっていいから!成功するまで何度でも!お願いします!状態でした。
 
この病院には子供用の設備は皆無でしたので、ゆきうさぎ、一昼夜、赤ん坊を大人用簡易ベッドで抱きかかえてました。だって置いたら落ちるでしょ。落っこちたら頭打ったりして骨が折れるかもしれないでしょー。
夫は、いったんブンタウに戻っちゃったので、4歳児と0歳児かかえて、狭い点滴スペースにずっと張りつきです。親の助けなし。友達の助けもなし。頼れる者は自分だけ。ゆきうさぎ、トイレは行ったと思うんですよ。だけどなにかを食べた記憶はないし、病院に食事スペースもなかったし、食事とかどうしてたんでしょうかね。まったく覚えておりません。なにせ2日くらいほぼ徹夜したしね。
 
たしか、その日の夕方に夫がホーチミンのホテルを手配して、娘と夫はそこに泊まったんじゃないかな。
ゆきうさぎは、母乳もあげられるようならあげろと言われていたので、時々、息子に飲ませましたが、まあほとんど吐いてましたねー。
でも夕方ころまで点滴したらだいぶ顔色がよくなって、肌にもハリが出たので、とりあえず、最高レベルの警戒態勢ではなくなったんじゃなかったか。
 
しかし、その次の日にまた問題が発生しました。
いくらたっても息子が吐き続けるのを見たシンガポール人の医者が、
「この赤ん坊は腸重積の疑いがある!今日中にタイに緊急搬送すべき!」
とか、言い出した。
あ、腸重積っていうのは、簡単に言いますと。
腸がお腹のなかでどういうわけか重なってしまい、重なった部分が壊死していく怖い病気で、子供に起こりやすく、もしなった場合は重なったところを元に戻すか、切って貼り合わせるかしなきゃいけない、緊急手術を要す病気なのですが。
「今パスポート持ってるか?なら、行けるだろう!」
いやいや、タイに行っちゃったら、普通に考えてまず数週間は戻ってこれないだろっ。
娘はどーすんだよ!てか、ゆきうさぎの直感からして、腸重積はないよ!←なんだろうねこういう時の母の直感って。 苦笑
 
そしてね、日本人の女医さんも、「いや、腸重積じゃない」って言ってくれたんですけど。「腸重積だ!」「いや、ちがう!」ですごい険悪になりまして。
じゃ、明日の午前中にホーチミンのローカル病院でエコーの権威がいるから、その人に見てもらって、その人が腸重積じゃないっていうなら引き下がる。みたいな話になり。
 
ゆきうさぎ、援護射撃してくれた女医さんに「すみません……ほんとに、なるべくご迷惑かけないように、って思ってるんですけど、ほんとにすみません……」
って言ったんですよ。そしたら女医さんが涙ぐまれて「大丈夫だから、お母さん。がんばりましょうね」って言ってくれ。
正直、そこで初めて、
あ。私、今、けっこう修羅場にいる?!
って気づきました。まあね、寝てないし食べてないし、夫いないし(仕事行ったりしてました)娘はぎゃーぎゃーしてるし、周りは英語やらフランス語やらベトナム語だし。鏡とか見てなかったからわかんないけど、普通にそうとう酷い様子だったんじゃないかな。病院で、あれだけ出てた母乳も、出なくなっちゃったし。
しかし本当の修羅場にいると、本人は必死なもので、他から言われてはじめて「あー、私、じつは大変だったんだ~」ってわかるもんですね、あとで実感しました。
 
 で、また泊まりこみの(息子を抱きかかえて、ほぼ寝られない)夜が明けて、次の日。
ゆきうさぎ、息子と女医さんと、ベトナムの救急車に乗ってそのローカル病院に行きました。
いやー、ドイツでも、ベトナムでもアンビュランスに乗るとはね。日本でも乗ったことあるから、3カ国の救急車に乗ったことになりますが。なかなか3カ国の救急車に乗った人っていないだろうな。てか迷惑なやつだな、ゆきうさぎ……苦笑
 
そして、ついた先のローカル病院が。
「え、ここですか?!」
どびっくりですよ。もう。だって、ほとんど遊園地じゃん。
巨大な柵の中に、バラックが転々と立っていて、その前にバスの停留所みたいなのがあって、人が長蛇の列をなしている。
よく被災すると、急ごしらえでそういう病院を作ったりするじゃないですか。野戦病院みたいな。
でも、そのベトナム語しか通じない、ベトナム人のローカル病院は通常運転でそういう処でした。
女医さんも目を見張って「この国って、こういうレベルなんだ……」みたいなことを言ってましたけど。
とにかく現地の人は、門が開く5時前から、歩いて数時間かけて、ローカル病院までくるんですって。
で、だいたい診察に1日、2日、3日かかるのはあたりまえらしく。
へえー、でもそんなの、他の国の他人事じゃん、あたしには関係ないよ~、ってみなさん思われると思うけど、ゆきうさぎの場合は他人事じゃなかったからね。
バラックとバラックの間は広大な平地なのですが、そこにござ敷いて寝てる人、家族連れできてて子供達がきゃっきゃ遊んでたり、メリーゴーランドもあるし、食べ物を売り歩いてる人もいる。
えー、こんな病院初めてみたよ。
つーか息子、ここで診察されるのか?!Oh!!
 
救急車で乗り付けるなんて人は珍しがられて、好奇の目にさらされながら、目当てのバラックまで歩いていくと、長蛇の列をすっとばして(ほんとにスミマセン、ベトナムのみなさんありがとう)外人特権?ですぐにエコーしてもらえましたが。
そこの先生はリアル・ブラックジャックでしたね。
女医さんがおっしゃるに、
「日に何百人も診るせいか、同業者がみても、神がかり的に手早い!」
そうでした。
で、あっという間に「腸重積じゃない」って言われ。2分くらいで。すげーな。
ほらーやっぱちがったじゃん、でもちがってよかったけど。と、また帰りも救急車で元の病院に戻りました。
しかしね、蛇足な話、この救急車の中に蚊が5匹は飛んでたのですが、ベトナムの救急車内で蚊に遭遇すると、デング熱とか大丈夫かな、ってちょっと不安になりましたけどね……苦笑
 
その日も泊まりでしたが、次の日から息子はちょっと食べられるようになり、ようやくホテル滞在が許され、通いで病院にいくことができ、ゆきうさぎもだいぶ、楽になりました!
けっきょく1週間くらいはホーチミンにいたんじゃなかったかな。
料理もできないし、出歩けない中、娘も4歳児でよく耐えました。そしておデブ息子が痩せた。驚 この何日間かは、身体に蓄えたもので、生き延びたせいだと思われる。
 
まあ。ふりかえるにそんな修羅場の一つ二つ、母になれば普通に起きるもので?
別に鍛えられたくもないけれど、気づけば雷くらいどうってことない境地に達するもの~♪、というか。
 
とにかく、今日も娘と息子が元気でいてくれて、母は嬉しい☆
そして、日本のお医者さんありがとう。医療事情に関してはホントに思う、日本に帰ってこられてよかったー。不安激減!
 
それではまた。
ごきげんよう!
 
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