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楽しく暮らそう。ゆきうさぎの創作雑記

【詩エッセイ♪】 夢のたびびと62『彼岸花の咲く庭で』・東京今昔物語

 こんにちは、ゆきうさぎです。
はじめましてのみなさま、ご訪問ありがとうございます☆
前からご覧になられているみなさま。引き続き、「夢たび」お楽しみ下さい♪
子供の頃から夢を見ずにはいられないまま、大人になりました。そんなゆきうさぎが10年近く前に書いていた詩「夢のたびびと」に、このたび新たに「夢たび景色」を書き加えたものが、このブログです。 

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イラスト提供:ふわふわ。り

 

夢たび62『彼岸花の咲く庭で』

秋分の日は ばあちゃんの85回目の 誕生日だった

 

日当たりの良い 縁側で
じいちゃんの好きだった おはぎを食べながら
ぼくは昔の話をしてくれと頼んだ

 

ぼくと同じ 十代のころ 
ばあちゃんが何を思い 何をしていたのか
どんな夢をみてた? 好きな人はいたの?
 
ばあちゃんの目は すいと遠くなった

 

あたしが三つ編みおさげの 娘だったころは
遠い将来なんて 考える余裕はなかった
今日を生き抜く いま食べるものを見つける
ただそれだけの 毎日さ

 

父ちゃんが使ってた 若い衆のなかに
優しいひとがいてね 好きだったよ
だけど あのころは 
男はみんな 兵隊に取られて 帰ってはこなかった

 

母ちゃんの思い出の着物を よく田舎へ持って行ったよ
ほんのちょっと 食べ物をわけてもらうために

 

それからようやく 電灯をともせる 空襲のない夜がきたけど
進駐の兵隊が 家の中に押し入ってきたりしてね
勝手にものをとっていくけど 何も言えなくて

 

怖かったよ 道も自由には歩けなかった
銭湯にいくたび 荷物をぜんぶ調べられたし
目の前で 人がピストルで撃たれ 倒れたのを見たこともある

 

みんな みんな なくなってしまった
家も 思い出も 大切なひとも・・・
だからおまえは 戦争をしちゃいけないよ

 

なんだか それまでの自分の悩みがちっぽけに思えて
ぼくは ほんの少し泣いた 
そして 思ったんだ

 

もしも 同じことが起きたら 
ぼくは 生き抜けるだろうか?

 

人はみんな つながっている
ばあちゃんが 歯を食いしばって 生き抜いてくれたから
今 ぼくは ここにいる

 

ありがとうって つぶやいたら
庭の 彼岸花を 眺めながら
ばあちゃんは静かに お茶をすすった
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【夢たび景色】東京今昔物語

この詩はゆきうさぎの祖母がモデルです。書いた当時85歳だったんですね。その後92歳で亡くなりました。
と、いうわけで今日は昔々に聞いた祖母の話を、書こうと思います――。
 
祖母は大正の東京に生まれ育ちました。よく親から3代住んで江戸っ子と申しますが、祖母の家系は元々旗本なので、江戸初期から三百年以上も、代々ずっと東京に住んでいたことになります。つまり生粋の江戸っ子でした。
祖母の話の東京は戦前から始まるので、今の東京とはだいぶ様相がちがっていました。
赤ん坊のころ関東大震災があって、曾祖母は祖母をおぶって火事を逃れ、近くの大きな公園に避難しようとしましたが、
「ダメだ、ダメだ!!ここはもう満員だ、他へいけ!」
と警官に怒鳴られたところ、
「困るんですよ!あたしの亭主と子供が中にいるんだよ!」
と怒鳴り返し、中に入れてもらったらしい。←これは曾祖母の機転で、本当はいなかったんですけどね。
「だってあの公園に入れなかったら、絶対、焼け死んでいたよ」
と曾祖母はよく言っていたそうで。
「あの時、別な処へ逃げた人は、ほとんどみんな助からなかったよ」と。
怖いですね、大都市の火事って。
今の東京は昔より全然規模が大きくなってますから、地震が起きたらどうなるのか、あまり他人事じゃありませんよね。
 
祖母は小さい頃、まだ干潟だったお台場あたりで、よく潮干狩りをしたそうです。
当時も今もかわらず、東京で栄えていたスポットはやはり新橋・銀座・東京界隈だったようで、「あたしは父と銀座に行くのが楽しみだった」と、よく言っていました。
ゆきうさぎの曾祖父にあたる、祖母の父という人は、明治生まれで旗本から警察官を経て輸出入関係の運送会社を立ち上げた人らしく、
「あたしの家では昔、猿を飼っていた」と。「犬と猿がよくケンカをするんで大変だった」と言っていました。
曾祖父は明治生まれにしてはめずらしく、英語のできる人だったみたいです。
その会社の関係で、数年、横浜に住んだ経験もあったようで、
「東京より横浜のほうが洗練されていた。横浜あたりの子供はみんな洋服を着ていたけれど、田町に戻ったらみんな着物だった」と。
 
戦中も疎開などは特にせず、東京に住み続けていたので、当然、毎日毎晩のように空襲も体験し、「今日、隣にいた人が夜のうちに死ぬんだよ。どんどん死んでいく。だからあたしは、明日生きているのかなぁと毎日思って暮らしていた」そうです。
優しかった曾祖父は栄養事情がよくない中で病に倒れ、ろくに治療を受けることなく、従軍もせず死亡。
祖母は曾祖母と二人で戦火の東京を生き抜き、その後、終戦。
「新橋の闇市に、よく通ったよ」「なんでもあるんだよ」と。
「違法だったけど、みんな生きるために、あそこで買い物をしなくちゃならなかった。法律を真面目に守ろうとした人は、餓死しちゃったよ」
それを聞いて、ゆきうさぎ、小さい頃かなり疑問でした。
法ってなんですかね。なんのためにあるんだろう。国民を守るためにあるんじゃないのかね。
 
戦後しばらく、田町あたりはアメリカ進駐軍がうろうろする界隈だったようです。
「夜中や日中に、アメリカが勝手に家に上がり込んでくるんだよ。そして欲しいモノを物色して盗っていくんだ。でもね、なにされるかわからないから、とにかく、いなくなるまで耐えるしかなかった」
当時、乳飲み子を抱えた祖母がどれほど怖かったことか。
「普通に銭湯にいくのにも、いちいち検閲されるからね。せっけんや、赤ん坊のベビーパウダーまで指を入れるからね、本当に嫌だったよ」
「でもね、一番ショックだったのは、そういう日が続いていたある時、日本人のおじさんが、アメリカ兵二人に追いかけられていてね。
あたしの目の前で撃たれてばったり倒れたんだ。
あの人が何をやらかしたのか、なんで追いかけられていたかわからない。
だけど、目の前で人が撃たれて死ぬのを初めて見た。ものすごくショックだった」
 
教科書では終戦がきて、ようやく国民は安心して前を向いて歩けるようになった、みたいによく書かれていますけれど、あれは綺麗にまとめられた歴史であって、東京都心では終戦後もまだけっこう過酷な毎日が続いていたようです。
体験者の実話って、すごく生々しい。
というより、よく「終戦」って言いますが、あれは政府が国民感情を逆撫でしないために作った造語で、日本は「敗戦」したんです。それが真実。
敗戦して、自分の国を占領されるって、ようするに祖母みたいな体験をすることなんですよね。
 
当時の東京は海側は開けていても、山側はまだまだ田舎だったようで。
その後、隣家が火事を出し、もらい火で持ち家が全焼したので、祖母は世田谷に移り住んだのですが、
「渋谷なんて、本当に田舎も田舎だったんだよ。谷だし(そりゃそうだ)。電灯もぽつぽつしかともってない、こんなひなびて寂しい処にこれから暮らすのかと、よく思ったもんだ」
と、言っていました。
「あたしは小学校のころ水洗便所だったけど、世田谷の小学校はくみ取りだった。本当に同じ東京か?と思った」
……今の人の世田谷とは、ずいぶんかけ離れたイメージですよね。
とにかく田町は都会だけど世田谷はねー、ちょっと都落ちな場所で、みたいにいつも話してましたけど、おばあちゃん、今は世田谷っていうと、わりとみんなキラキラなイメージなのよ。どっちかと言えば、住みたい人のが多いくらいなんじゃないのかな。
 
当時はまだ、世田谷ではたくさん農業を営んでいる方がいたようで、
「あたしはね、世田谷に越して初めて、野菜をどう育てるのか知ったんだよ。大変な作業だよね、あれは」とよく言っていました。
曾祖母も祖母も、生粋の都会っ子なので、昔、知り合いにトマトの種をもらったことがあったようなのですが、近くの河原に種を植えにいき、
「秋に見に行ったら、なにもなかった」と。
そりゃ、そうだろうがよ!!!
と、つっこみたかったけど、曾祖母、明治時代に小学校で朝顔やらミニトマト育てたりしてなかっただろうからなぁ。
 
その後、伊勢湾台風のせいで会社の持ち船が全壊し、倒産。
一気に貧乏になったため、祖母がそろばんで(今でいうと会計士みたいな感じでしょうか)家計を支えて、ゆきうさぎの母や叔父を立派に育てたようです。
 
祖母は読書好きで、江戸っ子らしくちゃきちゃきした処があり、ハイカラなモノも大好きでおしゃれでした。
文句を言わず、だいたいニコニコ笑っており、気さくに人に話しかけ、とにかく肝っ玉がすわっていました。
背は小さかったけれど、激動の時代を生き抜いてきただけあって、ちょっとやそっとのことじゃ動じない。
ゆきうさぎは母よりどちらかと言うと、この祖母似かもしれない、と思うことがあります。
そんな祖母も今では、神田のお寺に静かに眠っています。色々と長い人生、本当にお疲れ様でしたね、おばあちゃん。

みなさんは、先達から昔の話を聞いた経験がありますでしょうか。ゆきうさぎは小さい頃から色々と聞いておいて、今は本当によかったと思います。
自分はそういう様々な人生の苦労の末に生まれてきて、またここから先をつないでいく存在なんだなぁ、と思うから――。
 
今日の東京今昔物語、いかがでしたか?
かつて、ゆきうさぎが祖母から聞いて色々感じたように、みなさんの心にもなにか感じる処があればいいなと、願っています。
 
それではまた。
ごきげんよう。
 
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